2006年03月01日 23:28
2000年2月29日午後1時20分。。。
父が亡くなった。享年62歳。。。
このプログを見て「あれ?」と 思った人もいるだろう。。。
そぉ父は、うるう年の時に亡くなった為、1日ずらしているのだ。。。
私が覚えている限りの父は、物心付いた頃から家に居ることは少なく、いつもパチンコに行っていた父の姿しか覚えがない。。。
ただ、病気になった後の父は、農業に対して力を入れていったのだ。
私の住んでいる街は、かなりの田舎で兼業農家が多い街だ。若い人は、都会に出て行ってしまい、私の同年代は少ない。。。
父が、亡くなる前ある1つの組合を立ち上げた。「営絡農業組合」と言うものを。。。
今では、父が亡くなった後は近所の方が組合長をしていただいてるので、母は組合員になり、農繁期の時期には忙しいのだ。私も、出来る範囲で家の田植えの時期は、手伝っている。。。
父は、男性特有の癌である前立腺癌になったのだ。父の事だから、痛みを堪えていたに違いない。しかし、祖父が亡くなった直後に、検査をしてもらいこの病気が発覚したのだ。その時は、「余命6ヶ月持つか持たないか」との事だった。だが、母の懸命な看病の上、5年半と言う月日を生きたのだ。。。。
しかし、私の父は6年前亡くなった。母と私と姉、兄を残して。。。
私達兄弟3人は、当時結婚もしていなく、姉や兄は独立し家を出てた為、母と私が父の看病をしていたのだ。
父が危篤になった時は、姉や兄が来ている事も知らず普通に出勤していたが、昼休みの時「パパが、危ないから帰ってきて」と言われて帰ったが、病院には行かなかった。。。 なぜなら。。。父が好きだった私は、父の死に目に会いたくなかったから「行かない」と言い張って行かなかった。それを聞こえたのか判らないが、その後すぐに父が亡くなった。当時、葬式の時に泣いてない私を見て、その直後に姉に「あんたは、冷たい人間だ」と言われたが父と過ごす時間が、姉や兄より多かった為か病気後の父との思い出が、頭の中でフラッシュバックされ立ちすくんでしまい行けなかったのだ。。。
父が亡くなった後の、私は母を守らなくてはならない状態になり自分なりにして来たつもりだが、精神的疲れが出てきてたのかもしれない。だが、ある事故に会い父や祖父、祖母、先祖に対して申し訳ない事を、私は今日の父の命日である今日、仏壇の前に座り、手を合わした。「ごめんね」と。。。 亡くなった父は、私の事を最後まで心配していたらしく兄に「頼むぞ」と言っていた。その言葉が、痛く心に響いてしまった。
「ごめんね?いい子じゃなくて」と 心の中で詫びていた。。。
今は、母と二人で暮らしている。天国の父に見守られながら。。。
「パパ?こんな私だけど、これからも見守っていてね?」と 心の中で言いながら今を生きている。。。
父が亡くなった。享年62歳。。。
このプログを見て「あれ?」と 思った人もいるだろう。。。
そぉ父は、うるう年の時に亡くなった為、1日ずらしているのだ。。。
私が覚えている限りの父は、物心付いた頃から家に居ることは少なく、いつもパチンコに行っていた父の姿しか覚えがない。。。
ただ、病気になった後の父は、農業に対して力を入れていったのだ。
私の住んでいる街は、かなりの田舎で兼業農家が多い街だ。若い人は、都会に出て行ってしまい、私の同年代は少ない。。。
父が、亡くなる前ある1つの組合を立ち上げた。「営絡農業組合」と言うものを。。。
今では、父が亡くなった後は近所の方が組合長をしていただいてるので、母は組合員になり、農繁期の時期には忙しいのだ。私も、出来る範囲で家の田植えの時期は、手伝っている。。。
父は、男性特有の癌である前立腺癌になったのだ。父の事だから、痛みを堪えていたに違いない。しかし、祖父が亡くなった直後に、検査をしてもらいこの病気が発覚したのだ。その時は、「余命6ヶ月持つか持たないか」との事だった。だが、母の懸命な看病の上、5年半と言う月日を生きたのだ。。。。
しかし、私の父は6年前亡くなった。母と私と姉、兄を残して。。。
私達兄弟3人は、当時結婚もしていなく、姉や兄は独立し家を出てた為、母と私が父の看病をしていたのだ。
父が危篤になった時は、姉や兄が来ている事も知らず普通に出勤していたが、昼休みの時「パパが、危ないから帰ってきて」と言われて帰ったが、病院には行かなかった。。。 なぜなら。。。父が好きだった私は、父の死に目に会いたくなかったから「行かない」と言い張って行かなかった。それを聞こえたのか判らないが、その後すぐに父が亡くなった。当時、葬式の時に泣いてない私を見て、その直後に姉に「あんたは、冷たい人間だ」と言われたが父と過ごす時間が、姉や兄より多かった為か病気後の父との思い出が、頭の中でフラッシュバックされ立ちすくんでしまい行けなかったのだ。。。
父が亡くなった後の、私は母を守らなくてはならない状態になり自分なりにして来たつもりだが、精神的疲れが出てきてたのかもしれない。だが、ある事故に会い父や祖父、祖母、先祖に対して申し訳ない事を、私は今日の父の命日である今日、仏壇の前に座り、手を合わした。「ごめんね」と。。。 亡くなった父は、私の事を最後まで心配していたらしく兄に「頼むぞ」と言っていた。その言葉が、痛く心に響いてしまった。
「ごめんね?いい子じゃなくて」と 心の中で詫びていた。。。
今は、母と二人で暮らしている。天国の父に見守られながら。。。
「パパ?こんな私だけど、これからも見守っていてね?」と 心の中で言いながら今を生きている。。。



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